あなたはこれまでの人生を幸せだったと言えますか?
胸を張って言える人は、この作品を読んでも何も感じないかもしれません。
これは灰色の青春を送った人にこそ相応しい物語です。
あらすじ
過去の記憶を消去する『レーテ』によってすべて忘れ去ろうとした主人公が、手違いで最高の青春の義憶(作り物の記憶)を植えつける『グリーングリーン』を飲んでしまいます。
それはいるはずのない幼馴染みの女の子の記憶。
義憶であることは認識出来ているため、彼女が存在しない人物だということを主人公は分かっています。
しかし、驚愕の出来事が起こります。
なんと、義憶の中にしかいないはずの彼女が目の前に現れたのです。
幸福に慣れていない主人公は彼女を詐欺師ではないかと疑いますが、義憶のせいで彼女への好意は募るばかり。
果たして、彼女の正体とは? 二人の行く末は?
みたいな話です。
この作品、まったく一筋縄ではいきません。
最後まで面白く、驚きとニヤけに襲われ、あっという間に読めてしまいました。
なぜ、灰色の青春を送ってきた人に相応しいかと言えば、あなたの求めたものが100%詰まっているからです。
そうして想像するでしょう。
もし、自分に幼馴染みの女の子、あるいは男の子がいたら…………
誰か『ヒロイン』を開発してください(切実
義憶
灰色の青春を送ってきた人ならば、誰でも空虚感を抱えているはずです。
過去のことなんて振り返りたくないですが、振り返ると悪いことばかりを思い出してしまいます。
「あのとき、こうしていれば」「こうなっていれば」「こうだったらよかったのに」
それは無意味な空想です。
『あのとき』はもう二度とやってこない、過去の話なのですから。
けれど、そのIFを叶えることができるとしたら?
僕たちの中に『未来』はありませんが、『過去』はあります。
それは脳にあるわけですから、『過去』をいじることは可能なわけです。
つまり、不幸な人生を歩んできたとしても、幸福な人生を歩んできたことにできる。
それがこの物語に登場する義憶という創造物になります。
義憶によって得た思い出は所詮偽物です。作り物に過ぎません。
では、それによって得た幸福も偽物でしょうか。
僕はノーだと思います。
記憶なんてものは曖昧ですし、人間は自分の都合のいいように書き換えることだってできてしまいます。
なにより、誰かと語り合うことがなければ、記憶は自分の中にしかありません。
それはつまり、過去は自分の中にしかないということです。
もちろん、誰とも関わらずに生きることは不可能なため、誰かの記憶に過去の自分は存在します。
けれど、それもまた誰かの中にしかなく、自分に影響を及ぼすことはありません。
人生のすべての記録に残すことはできませんから、真実は自分の中にしかありません。
自分が義憶を真実だと思えば、それは紛れもなく自らが歩んできた道となるのです。
僕たちを僕たちたらしめるもの
「あなたがあなたであるという証拠はありますか?」
それは無意味な問いです。
だって、僕はこれまで僕として生きてきたことを知っているからです。
では、その記憶をすべて消してしまったらどうでしょうか。
そのとき、僕は誰になるのでしょう。
きっとそれは別人です。
僕であって僕ではない。
僕という人間はこれまでの人生の積み重ねからできていますが、言い換えれば僕は記憶によって形作られています。
過去の経験から現在の振る舞いが決まっています。
僕を保っているのは記憶。
僕は記憶の集積にすぎません。
この本を読んでから、忘れることが怖くなりました。
すべてを覚えていたい。
何も取りこぼさないように、自分の欠片も捨ててしまわないように。
けれど、失うことが悪いことだけではないということも知っています。
失うことで僕は少しだけ別人になれる。
それが変わるということなのだと思います。
おわりに
思ったことを書き連ねましたが、『君の話』を読むとこんな風に思考が暴走します。
ただ面白いだけではなく、色々と考えさせてくれる作品っていいですね。